(なぁ、こんなふうに側にいるのがタダの後輩じゃないって知ったらアンタはどう思うかな)

「見て、今月のわたしの運勢1位だって! この本の占いよく当たるって有名だよね!」

はばチャ最新号の占いページを膝の上に開いたまま、オレのすぐ横で彼女は声を弾ませた。

さっきまで空を覆っていた雨雲はいつの間にか、どこかへ流れていったようだった。
夏の初めのいつもなら蒸し暑い部屋も、雨上がりの涼しさを帯びた風が吹き抜けていくせいで、今は打ち水の後のようにひやりとして心地がいい。
高校に入って二度目の夏の、二度目になる家でのデート。
雨に洗い流されしっとりとした風情を見せ佇む夕方の街を上の階から見下ろす。いつも見てる窓からの何気ない景色も、今日はなんだか普段と違って鮮やかに見えてしまうのは、やっぱり隣にいる人のせいなのかもしれない。

「えっと今月のわたしは…… 『可能性が広がる時。前向きな気持ちになれるので、新しい何かに挑戦するのに向いています。また今まで応援し見守ってくれていた人の存在に気付くかも。』 だって」
「へーえいいじゃん。せっかくだしなんか始めてみたら? あ、でも部活は変えないでよ??
 柔道部のマネ…ってか、アンタの代わりなんか、どこ探したって他にいねぇし」
結構、本気込めて言ったセリフだったんですけど。それをあっさり聞き流して、
彼女は他の項目に熱心に目を落としている。
でもマジ占いの通りそろそろアンタも気付いてほしいと思う。
ずっと後ろから見守ってきたオレのことにも。
ページを一緒に覗き込む風を装って彼女の横顔に目をやった。こんなふうに黙った時は特に、普段とずいぶん印象が変わる。そのたびに、オレは慣れないその差に戸惑って、急に目の前の人を遠く感じてしまったりもする。

雨はもう上がっていたけど、まだ濡れたままのアスファルトを擦り付けて車が行過ぎる音が、開いた窓を通じてマンション上階にあるうちの部屋にまで響いてくる。普段の街の喧騒も通り過ぎた雨が封じ込めて、今は時々そんな車の音が聞こえるだけの、穏やかな夕方。
ベランダに繋がる開けっ放しのガラス戸から吹いてくる風が、
ベッドの端、オレの隣に並んで腰掛けた彼女の髪を撫でるように緩やかに揺らしていく。

「今月のラッキーパーソンは、射手座の人だって! これってニーナのことかな?」
「マジで? それさ絶対オレのことだって!」
身を乗り出しかけたオレを遮るように彼女は次の文を読み上げた。

「あっでも今月、恋愛の相性がいいのは乙女座の人だって! これって……」
続けようとした言葉をためらって、彼女は飲み込んだけど、何言おうとしてたか分かる。
それさ、嵐さんだって言いたいんでしょ?

「あの……」
「貸して」
二人なにか言おうとした言葉が同時に重なって、取り上げようと触れた拍子に雑誌が膝の上から滑り落ちて床にバサリと広がった。
ベッドの端で腰掛けたまま、1、2、3とゆっくり数えてても足りないくらいじっと目が合う。
突然辺りが静かになった気がして、不意に早まった心臓の音に自分で気付く。
お互いに逸らすこともしないまま、でもこの場を繋ぐ言葉が出てこない。改めて、
ここには二人しかいないことを急に意識する。そうここには今、オレたち二人しかいないのに。

なぁ。 二人でいる時くらい、嵐さんのこと忘れてよ?
せめて今くらいは、オレのことだけ見てほしい。
もう今日はその口で、嵐さんの名前とか呼ばせたくねぇから。

冷静さより感情の方が先に立ったかもしれない。鼓動が強まるのを押し隠して、勇気を振り絞り二人の距離を近付ける。視界には彼女のことしか映らない。もうきっとチャンスは今しかないと、その影とひとつになるように重なり触れようとした時

「あっ!!」
「えっ!?」
急に大声を上げた彼女に本気でビビって思わず素っ頓狂な声が漏れた。ついさっきまで確かにオレのこと見てくれてたはずの彼女が、オレの肩越しを覗くように身を乗り出している。


「虹だよ! あれ虹じゃない!?」

開けっ放しの窓の向こうに、雨雲がどいて今日ようやく見えてきた夕焼けの空に溶け込むようにして、ほとんど色の境目も分からないぼんやりとした虹のかけらが浮かんでいた。
目を凝らさないとあるかどうかも分からないほどの、うっすらとした虹。
だけどそれは確かに雲の隙間から覗く微かな夕陽を背に、
雨上がりの雫を湛える街の光を反射して、だだっ広い空の中にぽつんと描かれていた。

一時の夢のように、そのかけらが本当に空の中に溶け込み消えてしまうまで、
二人でどれくらいの時間黙って窓越しの風景を眺めていたんだろう。
何も言わなくても、言葉なんか交わさなくても、ただ二人でこうやってボーッとしてられるだけで
幸せだった。
そういうオレのことも、この人なら受け止めてくれるんじゃないかって気がしてた。
いつからだろう、この人になら本当の自分を見せようと思い始めたのは。
そんなオレのことも認めてくれるって、そう信じてもいいって思い始めたのは。
だから、たとえどんな形でもいいから。今日こそはちゃんと、伝えたいと思った。

さっきからずっと黙ったまま、オレの肩にもたれかかる彼女の方へ、今度こそ覚悟を決めてゆっくりと視線を向ける。

…………。
一緒に虹を見て言葉を失ってんのかと思ってたのに、七色のかけらを最初に見つけて喜んだ彼女はいつの間にか、オレの肩にもたれたまま気持ち良さそうな寝息を立てていた。
これだからホント、かなわねぇし……。
ネコの目みたいにコロコロ変わって掴み所なくて、無自覚だし警戒心ないし人のこと振り回すし、でもだからこそ目が離せなくてオレは、引き寄せられてんのかもしれない。
あんまりにも気持ちよさげに寝てるから、起こさないように気をつけて、
その頬に指先でそっと触れてみる。思った以上に柔らかい頬をつつくとくすぐったかったのか、
コクリ、小さく頷いたように顔を沈め口角を上げて彼女は微笑んだ。

もしかしたら今なら、手の届く距離なのかもしれないけど。
その覚悟を阻まれて、オレはあと一歩を踏み出す勇気がなくて結局立ち止まる。
なぁ。こんなふうに側にいるのがほんとはタダの後輩じゃないって知ったら、
その時アンタはどう思うのかな。
タダの後輩なんかでいたくないって、そいつが思ってると知ったら。

ベッド脇に落ちた風にめくれる雑誌の上で、
狙った弓をつがえたまま、今日も放てないサジタリアスが小さなため息をついた。


 
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Sagittarius = 射手座です。
○○の憂鬱、というタイトルで一度くらい書いてみたかった。
どうでもいいけどニーナは部屋に各雑誌の最新ナンバーばっちり取り揃えてあると思う





(2011.6.17)