これだから、城になんか来たくなかったのに。
こんな祟られそうな、いわくつきの、ブキミな場所とかありえねぇし。
今ここにいる自分に軽く後悔しながら、苛立ちを抱えた腹の中で今日何度目かの悪態をつく。
やけに乗り気な二人に引っ張られてしぶしぶやって来た日曜日のはばたき城は
気候のせいなのかあるいは連休のせいなのか、ごったがえすような人の山で埋もれていた。

「なんか飲みもん買ってくる。はぐれるからそこで待ってろ」
見物もようやくひと段落した休憩場所で、嵐さんの背中が人ごみを追い越し売店の方へと向かうのを、オレの横で彼女はその姿が完全に消えるまで見送っていた。

……ホントは、分かってる。自分がイライラしてて、今日ここにいるのが面白くないのは、
単に苦手な場所のせいだけじゃない。
今みたいに、アンタの視線があの人を追ってんのを、目の前で見せ付けられてるからだってこと。
違うと思い込みたくても、3人で会ってるとそれが丸分かりで、気のせいだけには到底できなかった。それに、そのこと分かってるのは、多分オレだけなんだと思う。嵐さんはいつも通り飄々としてて、そんな視線にさえ気付いてないみたいに。
オレに対してのと違う、その目にどんなに意味があるのかも知らないで。
チラリと横目で伺った彼女はいつもと変わりなく見えるけど、やっぱりオレの方は見てくれていない。オレを通り抜けて彼方にいる人を捜してる。二人きりの時でさえ合わない視線に、胸の奥が締め付けられたような気がした。

多分きっかけなんて何でも良くて、きっと今日よりずっと前から、余裕なんてとうに失くしてたのかもしれない。このままあっさりエンド迎えるみたく黙って譲りたくない、そう思ったのかもしれない。
……もしかしたらただ、こんなふうに、イライラしてる自分に本当は一番イラついてただけかもしれない。
でも思いがけず二人になった時、これまで言わずに抑えてきた気持ちが堰を切って溢れ出すのは簡単なことだった。
思った次の瞬間には体が動いて、彼女の腕を掴んでた。離すつもりはなかった。思ったより指に力が入ってたかもしれない。驚いた顔をして、彼女がやっとオレのことを見る。

「今、アンタ誰のこと考えてた?」
彼女が息を呑むように口をつぐんで、正直な頬が染まる。オレはそれを見てますます自分の声が冷たくなっていくのが分かる。一度口火を切ると止まらなかった。
「言えよ。アンタはどっちを見てた? ……なぁオレは結局、嵐さんを超えられねぇの?
 結局オレのポジションって、アンタら二人の添え物でしかねぇの?」
答えて。そんな悲しそうな目とかしないでよ。
オレを見るアンタの目がそんな悲しそうなのは、オレがそんな目をしてるからってこと?
せめてもっと近付きたいと思う気持ちが抑えられなくて、掴んだままの腕を力任せに引き寄せる。こんな距離が近くなっても、力づくじゃ手に入らない。
それを分かってても、手に入れたい時はどうしたらいい? どうすれば、アンタはちゃんとその目にオレを映してくれる?
このまま、あともう少し傍に近付いたら。無理にでも、オレのこと考えてくれる−−?

その時黙ったまま、腕の中で俯くようにしてた彼女の視線が急にオレの肩の向こうへ移る。
気持ちのどこかではこうしてるとこ、嵐さんに見られてもホントは構わないと思ってた。
見せてやりたい、くらいに思ってたかもしれない。
缶ジュースを手に戻ってきた嵐さんが、静かにオレの後ろに立っていた。

ようやく腕を離して、嵐さんに向き直ったオレに、彼は手にした缶をオレに向けて差し出す。
何も言わず受け取ろうとした瞬間、嵐さんはそれを引っ込めた。
「何してた」
疑いとも怒りとも分からない声で、ただ気迫だけがさっきまでとは全然変わっていた。
「……嵐さんには関係ねぇし」
まっすぐに目を見られないまま、吐き捨てるようにようやくそれだけ呟いた途端、飛んできた腕に一瞬で胸倉を掴まれる。
二人を止めようと手を伸ばした彼女の小さな叫び声と同時に、スローモーションのように落ちていく中身の入った缶が、鈍い音を響かせ硬い床に転がった。
……やっと、この人も本気を出してくれたんだと思った。自分の本気に気付いたんだと思った。
でも気付くの、遅ぇし。 もっと早くこうなってたら、こんな形でこじれたりしなかったのに。
それにたとえ本気出されても、オレは。 もうその覚悟はできてっから。

 ◇ ◇ ◇


帰り道のバスの中、窓際の彼女と、横に並ぶオレらの後ろの席に、嵐さんは一人で座った。
さっきから、ろくに言葉を交わしていない。気遣った彼女が時々話題を振ってくるけど、
やがてその言葉も消えて、空いた車内は夕闇に染まり、エンジン音と路面がはじく振動の音だけが響いていた。

これ以上誰も傷付けずにいようとすると、何も言えなくなっていく。
それがアンタの優しさで、嵐さんの男らしいところで、さっきのオレの、せめてもの罪滅ぼしで。

バスは市街地へと入り、夜へと向かう街の風景が車窓をゆっくり横切っていく。流れる車のテールランプ、大通りで次々に青から赤へと変わってゆくシグナルが呼吸するようにまたたいてる。

それをぼんやり眺めてたオレの胸に、不意にこれまでの日々が思い浮かぶ。ストロボライトみたいに、焼き付けられた一枚の写真のように、眩しい閃光と共に埋もれてた記憶を呼び覚ます。
初めて練習試合で勝てた時の笑顔や、追いかけっこのフリで鍛えられた放課後、
そして一番初め、オレにわざと投げ飛ばさせたあの人の強さを。
懐かしい想い出は光の中で輝いて見えて、だけど今は、放たれる光が眩しすぎてその時の色を思い出せない。
部活の帰り道、3人で並んで見上げた空の色とか、弧を描き地面に落ちた嵐さんの背中の芝の色とか、その時その瞳がどんな色をしていたのかさえも。
遠くなりすぎていた。あの頃から確かにオレたちは3人だけど、今は戻れないほど先に進んでしまった。そしてオレたちは何も言わなくてもお互いに分かってる、両方の手を取ることはもうできないということを。

あとひとこと、なにか言葉を発したら。あと一歩、この三角形の枠から踏み出したら。
築いてきたものをこの手で壊してしまいそうな気がする。
全部分かった上で、壊そうとしてる自分がいる。
それがいいのか、悪いのかなんて考えもせずにただ、どうしても欲しいものができてしまったから。

諦めることができれば、ラクになれるのに。
それができないから苦しくて、みんなそれぞれに傷付いてる。
だけど何かと引き換えになっても譲れないものがあると、
オレの胸倉を掴んだあの人の目は言っていた。
そしておそらく、今のオレも同じ目をしてるんだろう。
皮肉だと思う。オレと何もかも違う嵐さんとの、それが今唯一の共通点だなんて。

窓の外から射し込む柔らかい紫の光が徐々に弱まり、黄昏は夜の訪れへと入れ替わってゆく。
3人でバスに乗るのも、これが最後なのかもしれないと、
彼女の肩越しに流れる、沈む間際の夕陽を見ながらふとそんなことを考えた。



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三角関係が破綻する、ターニングイベント間際の青春組の話です。




(2011.6.4)