もしも学園演劇『赤ずきん』の相手が親友状態のニーナだったら、というifの物語。
よって期待に基づく文化祭演劇捏造が含まれます。バンビ本命はコウです。でもコウの好感度は友好以下、むしろ普通状態。

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パタンと薄い台本を閉じて、
いつもどおり愛らしい赤ずきんちゃんはこちらに向き直るとニッコリ微笑んだ。

「ニーナはさすがにセリフの覚えも早いし、演技力もあるよね!
 学園祭当日までまだ時間あるけど、もう完璧じゃない?」
「まぁね?こういうことなら任しといてよ。
 いっそオレら二人ではばたき市のアカデミー賞総なめにしちゃう?」

いつも練習に使ってる放課後の教室で、今もひととおり劇の流れを終えたばかり。
本番を週末に控え、学祭準備も全校的に本格化してきている。文化部は今が佳境だろうし、
まだいくつかの教室では残ってクラス出展準備に勤しむ生徒の姿も見える。

祭り前特有の期待感とか、高揚感みたいな、浮き足立つ雰囲気に包まれた校内で、二人きりでやる何度目かの劇の通し練習。これも、彼女が3年間の締めくくりに演劇に参加したって聞いて、立候補した結果だった。
…卒業までの期間にせめて今より、少しでも近付きたい、その一心で。
投票を勝ち抜いて狙い通りに見事相手役を射止められた事は、自分でも多少誇りに思っていいと思う。
でもそれを、誰にも言うことはできないけど。

「もうすっかり秋だねー。今頃は山の紅葉もきれいなんだろうな」

そんなオレの思惑になんて気付かずに、誰にともなくそう呟いた彼女が、教室の壁の一面を切り取る窓の外へと目を向けた。
頬を撫でて通り抜けていく風が今日は特に涼しくて心地いい。
狭い教室の向こう側に広がる秋晴れの空はひときわ高く、薄暗い室内にそこだけ浮かび上がるような青が映えて、キレイだけど澄んだその色はどこか寂しげでもある。
今のアンタの、瞳の色みたいだとふと思った。
最近よく、そんな手の届かない遠い空を見上げるような目をする彼女の、隣にいるのが辛かった。
いつも何を話してても目の前のオレじゃなく、アンタはその向こう側を見ているような気がしてた。

時間を見つけては二人でやってきた練習の間、彼女は一見楽しそうに見えるし、てか楽しんでやってるのはウソじゃないと思うけど、でも、知ってる。本心では、アンタが誰と一緒に演劇やりたかったのかを。
そのこと知ってんのは、アンタと、おそらく打ち明けられたオレだけだけど。

「……不満?」
「え?」
「相手役。なぁ、やっぱオレじゃ不満なんじゃねぇの? ホントはさ、アンタは琥一さんと…」
「そ、そんなことないよ!だってニーナと一緒だったら楽しいし」
ほら、また。
そうやって無理しちゃって。隠しても心の内、今明らかに顔に書いてあったから。
気付かれないくらいに小さく息をつく。
本当は主役の候補に琥一さんも入ってたって話は聞いた。あの人も良くも悪くも、学園内では目立つから。けど、本人が辞退したって噂を耳にした。単に忙しいとか、演劇練習なんてかったるいってことだったのかもしんないけど。
でも彼女は、それを聞いてきっと……

そんなことをちょうどまさに考えてた時、沈黙を破る音を勢いよく響かせて、教室の扉が乱暴に開かれた。
呼ばれたようなタイミングで現れた琥一さんの姿に、さっきまでの教室の空気は良くも悪くも一変する。
あーあ。これがウワサをすれば、ってやつ?
でもまあ考えたらここは琥一さんのクラスだっけ。空き教室の関係でここしか取れなかったんだけど、それでも彼女は急に現れた王子様に分かりやすいくらいパッと目を輝かせる。
……練習ではそんな顔、一度もしてくんなかったくせに。

「……あぁ? オマエら何やってんだ、こんなとこで」
「が、学園演劇の練習だよ、ちょうどここしか空いてなくて……コウくんは、どうしたの?」
「俺は忘れモンだ。へぇ、演劇な。ま、せいぜい頑張れ」
横目で彼女を見ると、もうちょっと触れてほしそうな顔してる。まあホントは、こうやって練習してんの、オレじゃなく琥一さんのはずだったわけだから。
言葉を探して…というより、なんとかもう少し会話を続けようとしてるのが丸分かりで、オレは割り込むすべも持たないまま黙って二人を見守った。

「……ねぇ、コウくんも、当日は見に来てくれる?」
「さぁな。当日どうなるかなんてまだ分かんねぇからよ。ほら今年も用心棒頼まれてんだろ?
 …まあ、見に行けたら行ってやるけどよ」
その言葉に心から嬉しそうな顔を見せた彼女は、その表情に傷ついてる人が隣にいることには
気付いてもないんだろう。
練習頑張ってたのも、結局この人に見せるためだったんだって、頭では分かってるつもりだったけど改めて思い知らされんのは、やっぱキツイ。
でも無邪気な彼女は、そのままオレが一番聞きたくなかったことにもあっさりと触れた。
「ねえ、聞いてもいい? ……なんでコウくんは、演劇の主役を辞退したの?」
「ハァ? んなもん、メンドクセーだろ。主役なんか興味もねぇし。
 そこの…新名だっけか? そいつの方がずっとオマエにゃお似合いだ」

 ◇ ◇ 


その言葉に悪気とか全然なかったのはみんな分かってた。けど、
また二人きりに戻った教室は、さっきよりもずっと静かで、重苦しくなった気がした。
ふうっと長い息を吐いたアンタは、物憂げに空を見上げるあの切ない目をして、
そんな彼女を、オレはまたどうすることもできずただ見守るしかできねぇし。

本当は、いつかちゃんと言ってやろうと思ってた。

そんな素直に直球ばっかだからアンタはダメなんじゃね、って。
もっと上手くやる駆け引きとかいいかげん覚えたら?って。
でもそんな顔見せられたら、もう何も言えなくなるじゃん。
さっきまでのテンション無くして、傷ついたことオレの前では隠そうともしないで。そしたら
アンタの気持ち知ってる唯一のトモダチとして、慰めてやるしかなくなるじゃん。
ズリィって。慰めてほしいの、ほんとはオレの方なのに。

わざと努めて明るく振舞って、アンタを励ます前向きな言葉を探しながら、いつも思う。
親友ポジションなんかまっぴらだって。いつもいろんなこと聞いてきて、アンタは親友なら何でも
答えられるって思ってんのかもだけど、オレだって知らないし、ほんとは知りてぇし。こんな時にさ、
自分の気持ちは一体どこに持ってったらいいんだよ……

 ◇ ◇ ◇ 


塗り潰したような黒い影が辺りを覆う。薄暗い森は終わりなく続いて、まるで踏み入れるもの全てを拒むかのような、鬱蒼と生い繁る木立が不気味な音を立ててざわめく中、すでにとっぷり日暮れた空に浮かんで煌々と輝く満月だけが、歩みを進めるごとに立ち並ぶ木々の隙間から見え隠れする。

……大道具係渾身の作である、学園演劇の背景が存在感を出す舞台の上。
やって来た学園祭当日、大々的な告知のかいもあって、卒業生から他校生まで含む大入り満員のお客さんたちが見守る中で、今まさにステージの上では森の中で道に迷った赤ずきんちゃんが、ようやくおばあさんの家へと辿り着く場面が始まる。
家の中にはおばあさんの代わりに、赤ずきんを待ちわびたオオカミが腹をすかせて待ち構えているとも知らずに、その手にリンゴの入った小さなカゴを提げて、彼女は無防備に扉を叩く。

それをオオカミのコスしたオレが何食わぬ顔で出迎える。
練習した通り順調に来てる、ここまでは。それにアンタは安心してんだろうけど。
……なあ、純粋なままのアンタに教えてあげよっか?
無邪気で鈍感で人をカンタンに信用するお人よしな赤ずきんはさ、
本当のオオカミの怖さ、分かってねぇんだって。
ここからは、もう逃げられねぇよ。追い詰められた時、アンタはどんな顔するんだろうな?


「おばあさん、おばあさんのお耳って大きいのね」
そんなこととは露知らず、練習の通り真面目にアンタは劇を進めていく。
「それはさ、アンタの声を良く聞くためだって」
彼女が一瞬、セリフに違和感を覚えたのか目を丸くしたけど、すぐ気を取り直してそのまま先を続ける。
「お目めも大きくて、ギラッとしてる……」
「それは、アンタの姿を良く見るためっしょ」
(ニーナ、練習の時とちょっとセリフの言い方違わない?)
小声でアンタがオレを突っつくけど、わざと聞こえないふりで続きを促すと、仕方なく彼女もそれに応じた。
「……それに、腕も太いしお手てもすごく大きいわ。すごく強そう」
「強くなけりゃ、……アンタを抱いたりとかできねぇし?」
少しだけ彼女の顔が赤らんだ気がする。そりゃ、これはもう劇のセリフっていうよりも、まんまオレが言ってるみたいなもんだから。
「……い、一番びっくりしたのがそのお口。おばあさんのお口は、とっても大きいのね」
「……まぁね。これくらいなきゃ、アンタを……」
「わたしを?」
「食えねぇからな!」

ここで予定通り叫んでベッドの下に潜ろうとする彼女の腕を、その前に素早く捕らえた。
当然、予定外の動きにビックリした顔して彼女は振り返る。
「……逃がさねぇよ?」
「ニーナ……急にどうしたの?」
「……離さねぇから。知ってもらうまで。そんでアンタがどういうつもりでやってんのか、ちゃんとここで聞かせてもらうまで」
多分、琥一さんもこの舞台を見てるはず。アンタがずっと見せたかった舞台の上で、見せたかった人の前で、教えてやるから。その無邪気さが時には大変なことになるって。

リハーサルと違う展開に、舞台袖で裏方がざわつき始めたけど、そんなこともうどうだっていいし。
答えろよ。いつものように人の気持ち煙に巻いて逃げられなくなった時、アンタはどうする?
オレがこれまで隠してた気持ちぶつけたら、アンタはオレにどうしてくれんの?
オレがアンタに相談したら、今度はそれにどうやって応えてくれる?
親友の仮面なんてすぐにでも脱いで本当は、一人の男として向き合いたかった。
卒業式までは待っていようかと思ったけど、信頼とかもうどうなってもいいって、
一線飛び越えてそう思った以上は止めらんねぇよ。

「聞かせて。これ知ったら、アンタはどう思うのか。なぁ、オレはずっと、アンタのことが……」

ポカッ!

言いかけた言葉を遮って、突如オレの頭めがけ赤ずきんは強烈な右ストレートを繰り出した。
想定外の反撃に、さすがに油断してたからガードもできず、もろにくらって仰向けにひっくり返る。
「か……勝った!わたし、オオカミに勝ったわ、おばあさん!」

けなげに最後まで赤ずきんを全うした彼女の迫真の演技に、
……当然ながら、客席は爆笑の渦に包まれて、その後のことはもう、想像する間でもない。

結局、勝手に展開を変えたこと、結果的に猟師の出番をなくしたことを演出のやつらにさんざん文句を言われたけど、それ以上の大きな混乱はないまま、学園演劇は喝采の中、つつがなく終了した。
オレがあの時言いかけた言葉も結局、伝えたかった人には届かず、拍手の音にかき消されたままで。

 ◇ ◇ ◇ 


熱にあてられた頬を冷ましにひとり会場を抜け出し、祭りの喧騒から離れた静かな屋上へと出る。
相変わらずの秋晴れが続いて高い空には変わりないけど、こないだまで心地よく感じた秋の風も、いつの間にか少しひやりとする感触に変わっている。
もう、冬の訪れも近いらしい。

屋上の壁にもたれると、さっき小道具から一個拝借してきたリンゴを手のひらの上で遊ばせるように軽く放り上げる。
空中に浮かぶたびに、澄んだ青空を背景にリンゴの鮮やかな赤がまぶしく映える。
あとひとつの季節の間に、オレには何ができるんだろう。
自分の気持ちすら、まだ口に出せてもないのに。

何度か手のひらで受け止めたあと袖口で適当に軽く擦ると、そのリンゴにかぶりついた。
見た目ほどは全然、甘くないリンゴだった。
キレイな色してピカピカに光ってるけど、甘味よりただ酸っぱさだけが口の中に広がった。

もし、このリンゴが、赤ずきんで使われてなかったとしたら。
……そう、例えば白雪姫とかに出てくるやつだったら。
そうしたら、せめて劇の中だけででも、
それがほんの一時の役どころだったとしても、二人は結ばれてたのにな。

そんなこと考えるなんてバカみてぇだとは思うけど、
どうせ叶わないなら、そんな小さな夢くらい見させてよ。
その夢が脆くて、儚くて、手の届かないものだってこと、ほんとはちゃんと知ってるから。

空を仰いで、口の中に残るリンゴの欠片を、言えないままの重い言葉と一緒に飲み込んだ。







(2011.5.11)