海のように深く広い心をご用意の上ご覧ください。ニーナ視点・青春組SS。

 *この話の素敵挿絵をぷぷりんさんが描いて下さいました!
  本当にありがとう!


 注1:ギャグです。

 注2:バカです。

 注3:オーバーです。

・・・あ、虫が苦手な方は少しだけ注意ですよ。

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緊張が走る柔道場。静まり返り、かつてないほど張り詰めた空気に閉ざされて。
身じろぎもせず、言葉もなく、ただじっと畳の一点を見つめた、その視線の先に。

まるでこちらの様子を伺うようにいや、むしろ威圧でもするように。
ぴたりと動きを止めたまま、−−黒光りした、ヤツが佇む。


【G】

事の始まりは放課後の部活を開始する前の掃除時間。
ぽかぽかと穏やかで明るい陽気に包まれたこんな日は、自然と気分も上気して
足取りも軽くなる。
オレと彼女と嵐さん。いつも通りのメンバーで、
何気ない平和な日常が始まるはずだった。……そう、この時までは。

「嵐さーん、ほうきってどこにあるんすかー?」
「ん?そこのロッカーに入ってねーのか?」

指し示されるまま、道場の隅にある四角い物置の扉を開けた瞬間、−−今にして思えば
この日オレの運命の扉も開かれたんだと思う。
放たれる扉の隙間から飛び出すように突如、黒い小さな影がオレの視界の端をよぎった。

…………。まさか、今のは。
不意に高鳴る鼓動。あらゆる可能性が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
そ、そんなワケねーよな? だってココ、聖なる柔道場だぜ?
食べ物とかも基本置いてねぇはずだし?
そーゆーのがいる方がおかしいって。

ハハッ、気のせい気のせい。今見た影を頭の中から払拭するように元気良く扉を閉めた瞬間、
そいつは、今度こそ見紛うことなくはっきりと、オレの足元を走り抜けた。

「ひぃぃぃぃ!!」

思わず漏れた叫び声に、少し離れた場所に居た嵐さんも驚いて駆け付ける。

「どうした!?」
「嵐さん! 今っそこから……!」

説明するより早く、その黒い影は今度は近付いてきた嵐さんの足元をめがけ
一直線に移動する。

「!?」

華麗な身のこなしで間一髪、ヤツの突進を避けた嵐さんだったが、安心してるヒマはない。
こうしてヤツが現れた以上、今この道場は最悪の状況に陥っていることに変わりねぇし。
オレたちから少し離れ、まるで間合いでも取るように、静かにこちらの様子を伺う黒い影。
とにかく一刻も早くヤツをなんとかしないと……!

「新名!こいつ早くつまみ出せ!」
「ムリ!オレ現代っ子だし!!」
「こういうのに現代も古代もかんけーねーだろ!」
「嵐さんこそ柔道家なら、こーゆー時のための技のひとつやふたつあるっしょ!」
「こんなことに使うために稽古つけてきたわけじゃねーし、大体相手小さすぎるだろ」
「ちょ、突っ込むところそっち!?」

揉めるオレたちを横目にヤツは悠然と、余裕すら見せる構えで長い触角を不敵に揺らし、
まるで臨戦態勢を取るようにオレたちを眺めている。

「……どうやら、逃げるわけにはいかねーみてえだな……」

覚悟を決めたとでもいう顔で、嵐さんがゆっくりとヤツの方を振り返る。
やっべ凛々しいこの人。カッコいい。どんな時でも逃げも隠れもしないで真摯に対峙する、
こーゆーとこマジ見習いたい。

固唾を飲んで見守るオレの視線を背に、嵐さんが一歩ずつ、
ゆっくりヤツとの間合いを詰めていく。
背後からでも分かる、圧倒的な、周りの空気もろとも威圧するようなオーラ。
……これが、この人の本気ってヤツか。こんな真剣な嵐さん見たの、もしかしたら
初めてかもしんない。見てるこっちの手のひらに汗が滲む。
その強い気迫に押されるように、ヤツも少しずつ部屋の隅へと追いやられていく。
道場の角には隙間も窓もない。袋のねずみ。もう少しで、ヤツを追い込める。

−−そう思った時、事態は風雲急を告げた。
追い詰められたヤツは突如、その黒光りする装甲から薄い羽根を広げるやいなや
空中に舞い上がる。

「うぁっ!」
「飛んだ……っ!」

ほぼ同時に叫んだオレたちの声にもひるむことなく、ヤツは嵐さんの顔を目がけ
勢いよく飛びかかる。
ぎりぎりのところで身をひねりかわした嵐さんだったが、その羽根が頬をかすめたのか、
ヤツが無傷で着地するとほぼ同時に、力が抜けたように膝を突き畳に崩れ落ちた。

「あ、嵐さんっ!!!」

悲鳴にも近いオレの声ががらんとした道場に虚しく響き渡る。

「俺のことは気にすんな、それよりおまえは早くあいつを……!」

うなだれたまま絞り出される嵐さんの声を聞いて、心の中で何かがはじける。

………もうこれ以上、オレも逃げてるワケにいかねぇってことか。

腹を括り、持ったほうきを汗ばむ両手で構え直すと、勇気を奮い起こしヤツへと向き直る。
これが、世に言う男と男の勝負ってやつか。−−いやもしかしたらメスかもしんねえけど。
いや今はそんなことどうだっていい、嵐さんの仇は、今ここで必ずオレが取る。

一世一代の対決を前に静まり返る道場。
心の準備もなく思いがけずやってきたまさかの真剣勝負に、額にはじわりと汗が浮かぶ。
そんなオレをまるで挑発……してるようにも見えるヤツに向かい、
握り締めたほうきを振り上げようとしたその時。

スパーン!!

小気味よい音と共に丸めた紙が振り下ろされ、
その一撃でヤツは伸びて腹を向けひっくり返った。

「二人とも!掃除中に何ふざけてんの!」

いつの間にかやって来た彼女が丸めた紙を握り締め、
怖い顔でオレたちを睨みながら仁王立ちしている。

「やっ、別にふざけてねえし!?これでも真剣そのもの…ってかアンタ強ぇ……」
「女ってすげーな……」

妙に感心してるオレたちを見て、彼女の怒りにますます火が付いたようだった。

「そもそもニーナがこっそり道場にお菓子とか持ち込んでるからいけないんでしょ!
 嵐くんがここで早弁してるのも知ってるんだからね!」

返す言葉もなく押し黙ったオレたちの目の前に、

「ハイ、今すぐ畳に雑巾がけして!」
まるで鬼のような形相で、雑巾を突き出す彼女。

ハア。……オレたちの長い一日はまだまだ、終わりそうもない。









(2011.1.9)