【ライムライト】  辻×主人公


「……どうかした?」
 そう声を掛けられて我に返る。見るとすでに食べ終わっていた魁斗が、じっと美奈子の顔を覗き込んでいた。
「あ、ううん、別になんでもない」慌ててそう誤魔化したけれど、どうしてだか、そう言おうとするだけなのに少し、緊張する。いつの間にか距離が近くて、すぐ間近に顔があるせいかもしれない。
「なあ、お前もライブに来るんだろ?……っていうか、見に来て、くれるよな?」
「うん。……楽しみにしてるね、魁斗さんの歌」
 そう言って笑みを返すと、少し安心した表情をして、そして彼はふと何事か考えてから、口を開いた。
「なあ、今ここにりんごある?」
「りんご?うん、まだ少し残ってたと思うけど」
「よし。……ちょっと、キッチン貸して」そう言うと皿を持って下げるついでに彼は厨房に入った。
 美奈子がリンゴを取り出して渡すと、器用な手つきでナイフを入れ、芯を取り除いていく。
「今さ、グループの中でうさぎりんごが流行ってて……というか正確に言えば、剥き方教えてあげたらシン君がはまっちゃって、最近リンゴ持ち込んでそればっか作ってて」
「ふふ、その話わたしも聞いたよ、慎之介さんから」
 慣れた様子で上手にV字に切込みを入れ耳を作ると、可愛らしいうさぎの形をしたリンゴが次々に出来上がっていく。
「そっか。おかげですげぇ食べてるんだけど……ほら、できた。はい、お前に差し入れ。いつも頑張ってるから……や、ここの材料勝手に使って、差し入れってのはヘンだよな」
 ガラスのお皿に盛り付けたものを差し出そうとして、魁斗はちょっと決まりが悪そうな顔をした。
「ううん。……すごく嬉しい、ありがとう。自分のお店だしわたしが作るばかりだから、ここで誰かに何かを作ってもらうのが、なんだか新鮮だし。それにうさぎもとっても可愛い」
 魁斗が剥いてくれたりんごに、心があたたかくなる。彼には察しがいいところがあるから、もしかしたらなにも言わなくても、さっき心の奥で感じていた寂しさがなんとなく伝わってしまっていたのかもしれないけれど。こんなふうに寄り添おうとしてくれる魁斗の気持ちが、なによりも今の美奈子には嬉しかった。

「うん、よかった。……前にさ、俺がここで料理作って食べてもらって。最近料理できる機会があんまりないけど、またなんか作りたいな、お前に」
 ちょっと目を伏せてからそう呟いた魁斗に、うん、あれすごく美味しかったし、楽しみにしてるね、と美奈子は微笑み返す。こういう出来事をひとつずつ、これからもずっと積み重ねていけたらいいのにと思いながら。
「ねえ、せっかく作ってくれたんだし、差し入れ魁斗さんも一緒に食べよう?」そう言って美奈子が棚にあるフォークを取り出そうとした時、背後で魁斗がぽつりと言った。
「……なあ、今度の日曜日に、一緒にお祭り行かないか?」
 お祭り?と聞き返した美奈子に魁斗は頷く。
「うん、秋祭り。うちの実家の近所で、この時期に毎年あって」
「でも、今は忙しいんじゃ」
「まあ……けど、夜だけならたぶん平気。てか、なんとかする」
 そう言って、魁斗は改めて意志の強いまっすぐな眼差しを美奈子に向けた。



 山の向こうから少しずつ濃く落ち着いた色に変わっていく空、それに合わせて浮かんだ月の輪郭がはっきりと、鮮やかになっていく。
「この時間ってさ、5分経てば、もう全然空の色が違ってくるんだな」
 まぶしさと仄暗さの両方が混じり合う、昼と夜のちょうど境目を描く空を見上げて、ひとりごとみたいに隣でそう魁斗が呟いた。すじ雲を縁取るように茜色が溶け込んでいる。刻一刻と移ろい、ずっと同じ色をしていない。だからこそ目を奪う、ちょうどそんな瞬間だ。
 夕闇が落ちるほどに薄暗くなってきた神社の境内にずらりと、屋台が軒を連ねる中を歩く。秋祭りならではの太鼓と、お囃子の音が遠くから聞こえてくる。この時期に地域で毎年行われるというお祭りは秋の豊穣を祝って、昼間にははっぴにお神輿を担いだ若い衆たちが町を練り歩いていたらしい。
 不意にちょんちょんと肩先をつつかれて美奈子が振り返ると、目の前に突然白い狐のお面が飛び出してきた。驚いた美奈子に、そのお面の陰から魁斗が顔を覗かせて、いたずらっ子みたいな表情で笑う。もう、といつものように怒って、それからまた並んで、一緒に隣を歩き出す。境内に並んで吊るされた祭提灯がぼんやりとした淡い光を放っていた。昼間とはきっと趣が異なる、祭りの違う一面を垣間見ているのだという気がした。
 そういえばはばたき市の夏祭りの時も楽しかったね、とその時のことを不意に思い出して美奈子はちょっと笑った。
「あの時は魁斗さんツノ、付けてたし」
「あれはほら、似合うからってお前が調子に乗せるから」
「けど、まんざらでもなかったでしょ?実際、似合ってたし。きらきら光るものなんでも似合っちゃうなんて、やっぱりアイドルさんなんだねえ」
 ふふっと微笑む。花火の下で、手を取って一緒に見上げて。打ち上がるたびに染められた横顔と、光で彩られた空の色と。あの日の出来事は今も昨日のことのように思い出せる。
 そろそろ自分も何か買おうかと美奈子が屋台を覗こうとした時に、少し離れたところでまだ幼い子どもがこっちを向いて、あどけなく小さな手を振っているのに気が付いた。
「ほら、魁斗さんに手を振ってるよ?もしかして3 Majestyのちっちゃなファンなのかな?」
「ああ、けど多分、まだ小さいしアイドルなんて知らないだろ?」それでもにっこり微笑むと、その子に向かって手を振り返す。
「……それにきっと、あの子はお前に向かって振ってんだと思う」
「え、どうして?」
「どうしてって、ほら、それはお前がその、かわ……や、やっぱ、なんでもない」
 分かるだろ、言わせんなよばか。そう言って目を逸らして、また彼が勝手に怒る。でも赤い顔をしてそんなことを言うから、こっちまでなんだかちょっと恥ずかしくなって、赤くなって俯いて。そんなやりとりの繰り返し。彼と一緒にいる時はいつだってそうだ。そんな普通のありふれたやりとりが美奈子には今、とてつもなくいとおしかった。
 その小さな子に手招きをすると、人懐っこいのだろう、すぐに駆け寄ってきた子どもに魁斗はさっきの狐のお面を差し出した。素直に喜んでそれを受け取ると、その子は嬉しそうにまた向こうの方へと駆けて行った。

 屋台で買ったものを食べ歩いてそれから、遠くに祭囃子の音が聞こえる境内の端で、ちらちらと光を点す灯篭の明かりを眺めていた。もうすっかり日は沈んで、闇の中に並ぶ光の色もさっきよりも強く浮かぶ。
 お祭りごとにはしゃいで、こうしているといつも同じ目線に立ってて、年相応に無邪気なところもあって。彼はたぶんなんにも変わらず出会った頃のまま、自分の知っている魁斗なのだと美奈子は思う。
 これからきっと、もっと人気者になっていって。彼が夢を掴んで、これからどんなふうになっていくのか。何かを待ちわびる時のあのきらきらと輝いた眼差しを見るのは美奈子にとっても嬉しいことだった。それをこんなふうに、ずっと隣で見ていられたらと思う。そう思うからこそどこかで、いつまでも変わらないでいて欲しいと願うのは、やはりわたしの我が儘なのだろうか。

 薄暗い神社の境内には、ぐるりと宙を渡すように提灯が提げられ、屋台に灯る裸電球の光もどこかぼんやりとして鈍く映る。
 こうしていると幻想的で儚くて、これが現実なのかも分からない。次に振り返った時にはその光ごと消えていそうで、祭りはまるで、限られた時間にだけ許された夢のように感じる。
 小さな地区で行われる一日だけの秋祭りは、夏のそれとはだいぶ趣が違うように思えた。暑さや開放感がないせいなのだろうか、賑やかなお祭りなのになぜか少し物悲しくて、どこか、遊園地の明かりが消える間際にも近い寂しさを覚える。
 例えるのなら、たった一夜限りで咲く花みたいに。
 魁斗の横顔を見ている時、美奈子はこの頃よく、それと同じようなことを思った。
 今の彼は、今ここにしかいないのだ。
 この気持ちはゆるく灯る、祭提灯の明かりを眺めている時にも似ていた。その時々で見せる光の色が違う。ゆらゆらとしていてあやふやで、けれどだからこそ、その美しさに心を奪われて目を逸らせない。ただずっとぼんやり眺めていたい、そう思うような光だ。
 しあわせな夢から覚めてしまう前はこんな気持ちなのだろうか。そしてそういう時に美奈子は決まって考えた。わたしはいつまでこうやって、この人の傍にいられるのだろうと。

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